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2016年4月28日木曜日

Uボート・コマンダー―潜水艦戦を生きぬいた男 ペーター・クレーマー

1982年、ハヤカワ文庫NF 1994年

 代表的UボートであるVII-C型U-333のクレーマー艦長の自著。戦果よりもむしろ何度も沈没寸前から無事帰還し、人間味に溢れたUボート艦長として感銘を受けずにはいられない。

 初のフロリダ沿岸遠征では、故障した主機関の一つを洋上修理、タンカー<ブリティッシュ・プレスティージ>と衝突(潜望鏡、バラストタンク外殻、魚雷発射管2門等を損傷)、そんな状態で米商船を3隻撃沈、その後、米駆逐艦の爆雷攻撃に耐えて帰還している。

 77日間の修繕後の出撃でも、爆雷攻撃によって大量の漏水、右舷プロペラ軸の曲がり、主電池からのガス漏出、右舷主機の排気管冷却器の亀裂という状態から無事帰還。

 次の出撃では主機排出弁損傷による機関室への海水噴出、4時間修理の後に浮上、その後作戦海域で英コルベット<クローカス>からの砲撃・銃撃によって艦首と司令塔を損傷。クレーマー自身も負傷。急速潜航直後に<クローカス>と衝突して後部発射管を損傷・浸水。脱出後、英潜水艦の雷撃をかわして帰還。

 その後もU333は英フリゲート<エクス>との衝突による大損傷状態から帰還するなど、「アリ・クレーマーは生命保険」と呼ばれた。

 探知技術と逆探知技術、暗号化技術と暗号解読技術の向上が戦局をがらりと変えてきたことに驚かされる。連合国側が1.5m波長のAVSレーダーを開発し、独側はそれを逆探知し警報する「ビスケー湾の十字架」とその後継の「メトックス600受信機」で対抗。しかし連語国側はUボートの発する短波信号を受信する高周波方位探知器HF/DF短波装置(ハフ=ダフ・アンテナ)、9.7cm方位探知器「ロッテンダム装置」、その後継のASVマークIII型センチメートル・レーダーを開発。長らくそれらの存在に気付かなかった独側はようやく10cm波も検出できる「ナクソス・レーダー警報受信機」を開発。それに対して連語国側は3cm波レーダーを開発・・・。

 大戦の前半では連合国側の船舶を大量に沈めたUボートは、終戦時に820隻中718隻が損失、乗組員は約39,000人中約32,000人が死亡という痛ましい結果を残す。

 著者は終戦直前の新型Uボートにも関わり、ほとんど活躍することのなかったXXVI型(ヴァルターUボート)、XXI型(エレクトロUボート)、XXIII型(小型エレクトロUボート)が紹介されていて興味深い。もしエレクトロUボートが2年早く開発されていれば、第二次大戦の結果は変わっていたと言われている。